「学校、行きたくない。」
僕の不登校は突然始まった。理由は色々あって、色んなことが積み重なって、小学校六年のある日、行けなくなった。
僕が四歳の時に父が亡くなった。それからずっと母子家庭だ。母は父が亡くなってから看護師の資格を取って働いている。僕が学校を休み始めた時、心配した母は仕事を休んで僕のそばにいてくれた。だが、それでは生活が成り立たなくて、僕は、八時から五時まで病院の託児所に通うことになった。
託児所の平日は未就学児ばかりだ。小さい子達が僕に群がる。午前中は散歩をしたり遊んだりして、お昼は皆でそれぞれの母親の弁当を食べた。もちろん僕も母の弁当を持参した。弁当なんて遠足か運動会位しか作って貰ったことがない。母は仕事で忙しく、遠足や運動会すらも祖母が作った弁当だった。なのに僕が不登校になって、母は毎朝、早起きをして弁当を作ってくれた。隣で寝ている母のアラームの音を僕は知らない。看護師として不規則な勤務をこなす母には、きっときつかっただろうと思う。毎日何種類もの手作りおかずで彩られた弁当は、僕を勇気づけてくれた。
「行ってみようかなと思うまで、無理にいかなくてもいいよ。」
僕の不登校を母は一度も怒らなかった。怒るより僕を信じて味方になってくれた。託児所で食べる母の弁当には、母のメッセージとパワーが込められている気がした。僕は日に日に元気と自信を取り戻し、三ヶ月後、自分の意志で登校した。
今でも、あの日々の母の弁当は忘れない。あの時があったから、今、強くなった自分がいる。
「母さん、いつも元気とエールを送ってくれてありがとう。僕も母さんを応援しているよ。」
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次長課長 河本 準一さん(芸人)
不登校になった理由を決して深く聞かず、最後まで自立して学校に行くまでサポート出来る母親と本人とのやりとりがとても良く描けていて、言葉ではなくそれをお弁当に込めていた母の気持ちを本人が汲み取っていく様子は、私も母子家庭で育っただけにとても感動しました。母親は言葉で伝わらないと分かると行動で示してくれます。いつでも、味方になってくれるのが母親です。学校に戻れて学ぶ事も沢山あると思いますが、どんな事が起きても母親が味方についていてくれるので大丈夫です。素晴らしい作品でした。