WFPエッセイコンテスト2015 入賞作品

中学生・高校生部門賞 それも誰かの「ちからメシ」
大阪府 関西学院千里国際高等部 1年 藤戸 美妃(ふじと みき)さん
 今年の夏、南アフリカで友人とファーストフード店に入った時の事だった。私は約210円のポテトセットを見て、これなら丁度良い量だろうと思い、買う事にした。だがその量は想像を遥かに超え、且つとても脂っ濃かった。
 案の定私と友達は半分も食べきれぬまま気分が悪くなり、後始末に悩んだ。捨てるか、誰かにあげるか。友人と口論になった。結局残り物を渡す事は失礼と判断し、捨てる事に決めた。ゆっくりゴミ箱に歩いていたが、私は小さな店内から客の何かを訴える鋭い視線を感じ、なかなか思いきれなかった。
 覚悟を決めた瞬間、店の端から「NO!」と叫び声が聞こえてきた。振り向くと、一人の破れた服を着た女性客が「それならもらう」と言ってきた。私は罪悪感から解放され、安心した。彼女に「Sorry, Thank you」と笑顔で言った。
 しかし彼女には返事、ましてや笑顔もなかった。食べ物だけを静かに取り、私はその場を無言で立ち去った。店を出ると道で物乞いをする子供達を何人も見かけた。
 食べきれなかった食事を人に渡した、だけを言うと私は慈善的な事をしたと言える気がした。だが振り返ると、私の捨てようとした行為は彼女や食に苦しんでいる子供達の「ちからメシ」を侮辱したに等しい事に気づいた。私は彼らの「生きるチカラ」を過小評価する、という罪を犯したのだ。確かにあの食事は私にとって「ちからメシ」とは決して言えなかった。 しかしこの経験を通じて、私は「ちからメシ」の物差しは人によって違う事を学んだ。
 それから、私は二度とあの日犯した罪を繰り返さない事を心に誓った。そして自分にとっての「ちからメシ」が何かまだ分からなくても、今はいつも心に留めている、「自分にとっては『ちからメシ』と言えない食べ物も、自分の口に合わない食べ物も、お腹がいっぱいになって食べれなくなった食べ物も、地球上の誰かにとってはそれが唯一の『ちからメシ』であり『生きるチカラ』である事を。」